政治家 2012 12 7
私は、政治家として、あるべき姿を示したとして、
「勇気の人 2011 12 31」を書きました。
オーストラリアのギラード首相は、
2011年4月23日に、はるばるオーストラリアからやってきて、
まだまだ危険が残る被災地の最前線まで行ったのです。
この時期は、依然として余震が多く、
その上、事故を起こした原子力発電所も、安定していなかった時期です。
日本の政治家ですら、余震を恐れて、
被災地訪問を躊躇する人が多かったのです。
ギラード首相は、政治家として、あるべき姿を示したのです。
国民が不安と恐怖で怯えている時に、政治家が勇気を示す。
瓦礫の山の中を歩くギラード首相の写真が印象に残りました。
同首相の足元には、まだ多くの瓦礫が残っていました。
写真をよく見ると、同首相が立っている近くの建物は、
今にも崩れそうになっているものがあります。
勇気が道を拓く。
勇気の人 2011 12 31
2011年12月25日の朝日新聞のテレビ欄には、
町そのものが巨大な津波に飲み込まれる写真がありました。
この町とは、宮城県南三陸町(Minamisanriku Town)です。
南三陸町といえば、思い出すことがあります。
2011年の4月23日に、南三陸町を訪問した、
オーストラリアのギラード首相のことです。
瓦礫の山の中を歩くギラード首相の写真が印象に残りました。
同首相の足元には、まだ多くの瓦礫が残っていました。
この時期は、余震が続き、
事故を起こした原子力発電所も、安定していなかった時期です。
多くの外国人が、地震と放射能に怯えて、
東京から逃げ出したのに、
ギラード首相は、はるばるオーストラリアからやってきて、
まだまだ危険が残る被災地の最前線まで行ったのです。
写真を見ると、同首相が立っている近くの建物は、
今にも崩れそうになっているものがあります。
いつの時代も、女性の勇気が男性の勇気を鼓舞するのかもしれません。
勇気が道を拓く。